2014年9月7日日曜日

ベビー・レッツ・プレイハウス / Baby Let's Play House


ベビー・レッツ・プレイハウス / Baby Let's Play House



ベイビー、ベイビー、ベイビー、ベイビー、ベイビー、ああ。
ベイビー、ベイビー、ベイビー、B-B-B-B-B-Bのベイビー、ベイビー。
ベイビー、ベイビー、ベイビー、
戻っておいでよ。ボクは君とままごとして過ごしたいんだ

君は、大学に行くかもしれない
君は学校に行くだろう
君には、ピンクのキャデラックがあるだろう
だからといって、馬鹿にしないでおくれ


さあ、ベイビー、
来て、ベイビー、戻っておいで
来て、ベイビー、戻っておいで
ベイビー、戻っておいで
ボクは君とままごとして過ごしたいんだ

ベイビー、ボクは君に教えてあげる
ボクは何について話している。
ボクに戻っておいで、かわいこちゃん
だからボクたちはいくつかの家を再生することができます。

さてベイビー、
来て、ベイビー、戻っておいで
来て、ベイビー、戻っておいで
ベイビー、戻っておいで
ボクは君とままごとして過ごしたいんだ

さて、ベイビー
君のことが知りたいんだ
戻って来たら、ちっちゃなお家で遊ぼうよ
ボクたちが前にやったようにね
まあ、ベイビー、
来て、ベイビー、戻っておいで、戻っておいで
来て、ベイビー、戻っておいで
ベイビー、戻っておいで
ボクは君とままごとして過ごしたいんだ

うん、ベイビー、聞いておくれ
君のことを理解するようにするからね
ボクたちがしたことを他の男とするなら
死んじゃうよ、かわいこちゃん
いますぐ、ベイビー、
来て、ベイビー、戻っておいで
来て、ベイビー、戻っておいで
ベイビー、ボクは君とままごとして過ごしたいんだ

ああ、ベイビー、ベイビー、ベイビー
ベイビー、ベイビー、ベイビー B-B-B-B-B-Bのベイビーのベイビー
ベイビー、ベイビー、ベイビー。
ベイビー、ボクは君とままごとして過ごしたいんだ

ベイビー、君はボクをどうしたい

ボクたちは上になったり、下になったり
どうにもでもできるのさ、
君の望むようにロールしょうぜ
Yeah, yeah, yeah
君がしたいように、どうにもでもできるのさ
ベイビー、君はボクをどうしたい



(国内ゴールデンスタンダーとして再販時のジャケット)



エルヴィス・プレスリーのベストワンを選べというとビートルズよりも難しい。基準をなにに定めるかで随分変わるし、基準を決めることがエルヴィスが何者だったのか分からなくしてしまうからだ。

しかし、時空を超えていつも燦然と輝いているアルバムとなれば、メジャーデビュー前、どさ回りをしていた頃のテネシー州メンフィス、サンスタジオで収録されたセッションに留めをさす。

さて、そこでどの楽曲がという話に及ぶとまたまた混乱する。どれもが飛び抜けているからだ。

ロックンロール誕生と言われる<ザッツ・オールライト>は紛れもない歴史的価値を持つが、<グッドロッキン・ツゥナイト/今夜は快調>もロックンロール第一作として名高い。

そして「もう普通には生きられない」と覚悟したかのように、艶やかさ満点、マンブリング唱法、ヒーカップ唱法を存分に効かせ、更にスコッティ・ムーアのギャロッピング・ギター、ビルのスラッピング・ベースが雄叫びをあげるロカビリー三銃士大暴れで、好きなようにやってくれと双手をあげるしかない<Baby Let,s Play House>。

さらに<ミステリートレイン>がある。


なるほどサウンド的に現在とは比較にならない地味さだが、それを凌駕するなにかがある。分かるものには分かるし、分からないものには分からない。それでいい。しかしこのバカさ加減こそロックンロール誕生だったのだ。



Oh, baby, baby, baby, baby baby.
Baby, baby baby, b-b-b-b-b-b baby baby, baby.
Baby baby baby
Come back, baby, I wanna play house with you.

Well, you may go to college,
You may go to school.
You may have a pink cadillac,
But don't you be nobody's fool.

Now baby,
Come back, baby, come.
Come back, baby, come.
Come back, baby,
I wanna play house with you.

Now listen and I'll tell you baby
What I'm talking about.
Come on back to me, little girl,
So we can play some house.

Now baby,
Come back, baby, come.
Come back, baby, come.
Come back, baby,
I wanna play house with you.
Oh let's play house, baby.

Now this is one thing, baby
That I want you to know.
Come on back and let's play a little house,
And we can act like we did before.
Well, baby,
Come back, baby, come.
Come back, baby, come.
Come back, baby,
I wanna play house with you.

Yeah.

Now listen to me, baby
Try to understand.
I'd rather see you dead, little girl,
Than to be with another man.
Now baby,
Come back, baby, come.
Come back, baby, come.
Come back, baby, I wanna play house with you.

Oh, baby baby baby.
Baby baby baby b-b-b-b-b-b baby baby baby.
Baby baby baby.
Come back, baby, I wanna play house with you.

Baby, What You Want Me to Do

We're goin' up, we're goin' down
We're goin' up, down down up
Any way you wanna let it roll
Yeah, yeah, yeah
You got me doin' what you want me
Oh baby what you want me to do

You got me peepin' you got me hidin'
You got me peep hide hide peep
Any way you wanna let it roll
Yeah yeah yeah
You got me doin what you want me



(1970)



1960年 サンレコード時代の曲を再編集して米国でリリースされたアルバム




Baby what you want me to do

2010年5月23日日曜日

トゥッティ・フルッティ/Tutti Frutti



トゥッティ・フルッティ/Tutti Frutti

 <トゥッティ・フルッティ>は、リトル・リチャードの最初のヒット曲であり、リトル・リチャードの声とスタイルに神が降臨したまぎれもなくリトル・リチャードのものだ。1955年11月にスペシャルティからリリースされた。56年にR&Bチャートで2位になるヒットになった。

 エルヴィス・プレスリーは、1956年1月31日に録音している。同年5月1日から10週間全米ナンバーワンを疾走した最初のアルバム「エルヴィス・プレスリー登場」のB面トップに収録された。アルバム「エルヴィス・プレスリー登場」はプレスが追いつかないヒットになりRCAビクターは他社工場まで借りることになった。アルバムが買えないティーンエージャーのために全曲シングルカットしてリリースした。

 ”ワッバップ・ルッマップ・ラッバン・バン

 その意味は・・・意味なんかいらない。叫びの助走。腰を使え。身体を動かせ。それしかない歌だ。東にロック、西にもロック、彼女は一番のお気に入り ♪ イントロを追い越して”サロン”にたどり着く。
そこにはもっとも人間くさい生身のなにか、危険なものがあると嗅ぎつけた面々が自由に集まってきた。サム・フィリップスのように分かっていたものいたが、パット・ブーンのように既成の考え方と同じ人もいた。そしてそれが既成の考え方をする人に受け入れられた。

 1954年、エルヴィス・プレスりーが、サンスタジオで偶然、ロックンロールを爆発させたのと同じように、リトル・リチャードも、スペシャリティのスタジオで偶然ロケットを”ワッバップ・ルッマップ・ラッバン・バン”の合図とともに発射させた。

 <トゥッティ・フルッティ>は偶然誕生した。ロックンロールはこのように意味不明の言葉に飾られたボーイ・ミーツ・ガールが大半。セクシャルなものが多いにしても、<トゥッティ・フルッティ>は際立っている。

 ロック=反体制という図式はどこから生まれたのか?

 それはエルヴィス&ロカビリーに対する当時の大人社会の反応そのものであり、それ以上のものでもない。しかしエルヴィス登場直前人気だった映画『理由なき反抗』『乱暴者』でジェームス・ディーンやマーロン・ブランドが魅せた反逆の印象が、ロックンロールにかぶせられたことも一因。

 『理由なき反抗』『乱暴者』では車が主人公の身体的特徴を代弁。ロックンロールも同じく精神性に留まらず肉体を代弁した。エルヴィスの動きは精神を動かせる肉体の美。
人は考える葦であるから考え、精神性を重んじる。しかし考えた挙げ句、精神が最後に到達するのは身体だ。最後に身体が反応し、行動が起こる。信じられるのは精神ではなく、身体によって実現される行動であり、身体なのだ。エルヴィスは確かにバラードでも魅了したが、それは身体で語ったからでないだろうか?なるほど編集盤『エルヴィス56』のジャケットのエルヴィスは裏も表も自身のサウンドに耳を傾け考え込んでいる。しかしこの場合もエルヴィスは思考が行くところまで行った後、ロックの音が全身に鳴り響くと、全身でもって表現するに至るのだ。

 身体が動く意味について、エルヴィス・プレスリーが「勝手に身体が動くんだ」と言った点について疑問を持っている。身体は動くのは疑いの余地がない。しかし動き方には疑問がある。しかしどうでもいいことだ。身体は解放を求めて動く。 ”ワッバップ・ルッマップ・ラッバン・バン!!”セックスはうってつけだ。叫びは自然なのだ。そうだ、人間は身体こそがすべてを知っているのだ。どのような身体であっても、身体こそが唯一信じられるものであり、美しいものなのだ。

 リトル・リチャードの楽曲は身体にこそ神が宿ると言わんばかりだ。意味不明な言葉のリフレインはまるで身体の尊厳を祝うかのようでもある。ジェリー・リー・ルイスと同じく自称「キング・オブ・ロックンロール」と公言した。というものの、エルヴィス・プレスリーには一目置いている。エルヴィスを非難する言葉は知る限り聞いたことはない。

 「エルヴィスがロックンロールの道を広くしてくれた」と感謝の気持ちを隠さない。なにより、エルヴィスのブルース、ゴスペルへの愛情は確かだった。そして皮膚の色の違いを自然な形で気にしていなかった。

 その一方で、<Tutti Frutti/トゥッティ・フルッティ>をビルボードでヒットさせた白人優等生パット・ブーンをはじめ白人シンガーに対する怒りを隠さない。リトル・リチャードにとってそれらは魂の抜け殻でしかなく、音楽への冒涜に聴こえたのかも知れない。にもかかわらずビルボード2位(パット・ブーン)と 17位(リトル・リチャード)の結果は、白人社会の優位以外何ものでもないと感じたのだろう。

 いまでこそ、ロックを愛する人は、チャック・ベリーを聴き、リトル・リチャードを聴く。しかし日本人のそのほとんどは、60年代の半ばになってからだ。もし、エルヴィスがいなかったら、ロックンロールはビーチ・ボーイズやビートルズにバトンタッチすることもなく終わっていただろう。当時、大半の人はロックンロールの熱病で、その灯火はすぐに消えてしまうと思っていただろう。フランク・シナトラはそう考えていて、エルヴィスを見下していた。エルヴィスでさえも、その灯火がロックから自分に燃え移ることを期待していただろう。

 でもリトル・リチャードの不満も、エルヴィス・プレスリーの心配も無用だった。歴史は
 ”ワッバップ・ルッマップ・ラッバン・バン”のバカ騒ぎに潜んでいた真実を受け止めた。


俺の可愛いベイビーは
俺の気持ちがよく分かる
たっぷり愛してくれるんだ
朝、昼、そして晩までも

*くりかえし

俺のベイビーに触れられると
まるで世界一高い山に登ったり
世界一深い海に潜ったようないい気分

*くりかえし

俺のベイビーの唇は
赤くて甘いワインのよう
彼女にロづけされるたび
ハイな気分になっちまう

*くりかえし

トゥッティ・フルッティ
Wop-bop-a-loom-bop-a-lop-bam-boom
Tutti frutti,ah rutti
Tutti frutti,ah rutti
Tutti frutti, ah rutti
Tutti frutti, ah rutti
Tutti frutti,ah rutti
Wop-bop-a-loom-bop-a-lop-bam-boom

スーって名前の彼女がいるんだ
とっても気のきくいい娘

スーって名前の彼女がいるんだ
とっても気のきくいい娘

東にロック
西にもロック
彼女は一番のお気に入り

*Tutti frutti,ah rutti
Tutti frutti,ah rutti
Tutti frutti,ah rutti
Tutti frutti,ah rutti
Tutti frutti,ah rutti
Wop-bop-a-loom-bop-a-lop-bam-boom

**デイジーって名前の彼女がいるんだ
彼女は億を狂わせる
デイジーって名前の彼女がいるんだ
彼女は億を狂わせる

***俺の愛し方をよく知っていて
彼女のしてくれることったら
そりゃもう最高さ

*2回くりかえし

**くりかえし
***くりかえし

*くりかえし

少し高い声が生々しい、エルヴィスの声が高いほどに身体が自由に動くように聴こえる。エルヴィス・ミーツ・リトル・リチャード。なんという市井の凱歌!大自然の動揺と抱擁の贈り物。リズムを漂流する胸騒ぎの大騒ぎ。初夏の夕暮れ、空の下で聴けば、どんな空気にも負けない、さらにリアルなエルヴィス・プレスリーに会える。


わずか1年半の活躍の後、リトル・リチャードは1958年に突然に引退を決意する。

「ある時世界が燃え上がり空が熱によって溶けてなくなった夢を見た。しばらくしてフィリピン行きの飛行機に乗っていると突如火を噴きはじめた。私が神に祈ると火が消えた」と語ったのは有名。1万ドルの宝石を海に沈め、アラバマの神学校で伝道師を志して信仰の道に入った。再びロック・シーンに登場したのは7年後の1965年だ。エルヴィスは「ハレム万才」に取り組んでいた。

2010年4月15日木曜日

ミルクカウ・ブルース・ブギー



ミルクカウ・ブルース・ブギー

 1957年、エルヴィス・プレスリーが、サン・レコードで録音した<ミルカウ・ブルース・ブギー>を聴くたびに感じるのは、決意する 瞬間の人間の美しさだ。過去をオールゼロにできる人間の強さと魂の高貴さのすてきが地を這うように響いてくる。

オールクリアできる年齢って限界があるというのが日本的な考えでしょう。最近はそれじゃいけないよって風潮がでてきたようだが、オールクリアすることを恐れてはいけない。

<ミルカウ・ブルース・ブギー>は、「チクショー、こんなことやってられるか」と腹のソコから突き上げる思いを、頭ではなく身体と五感で受け止めて、キラキラ が一層キラキラまぶしく夕日に反射します。

精神と肉体を信じて疾走する人間の解放による恍惚。いかなる不安も、なぎ倒していく痛快が魅力。声とマンブリン唱法とヒーカップ唱法がこれ以上にないはまりっぷり。問答無用のドライブ感が、ふやけた魂に蹴りをいれるかのようだ。これに勝るものは、赤ん坊の泣き声しかないだろうに。

 その後、これほど躍動感と衝撃をもったサウンドは、初期のビートルズとセックス・ピストルズしか 知らない。55年も前の歌が、おそろしいくらいに新鮮だ。<ミルカウ・ブルース・ブギー>は19歳のパフォーマンスであることに驚く。歌っているのは19歳の青年による19歳の精神だ。

 聴く側がいくら年を取っても、エルヴィスの方は19歳のまま。どんな聴き方したって、個人の自由だけど、できれば19歳の精神で聴けたら楽しいはずだ。妙にありそうで、実はない分別で聴くのが、一番身体にも精神にも悪いと思う。年とったって、よほどのことがない限り、19歳と本質的には、そう大して変わらないのが一般的だ。ここは「あんたの白い靴は立派だけれど、オレの青い靴を踏むなよな」の<ブルースエード・シューズ>の精神で行くのがいい。

個人的には、エルヴィスが遺したなかでも、<ア・フール・サッチ・アズ・アイ>がなんといっも、声とスイングの魅力で一番好きだ。だからと言って、「<ア・フール・サッチ・アズ・アイ>はあんまり」といわれても、「あ、そう」で、終われるけど、<ミルクカウ・ブルース・ブギー>の場合は、そうはいかない。<ミルクカウ・ブルース・ブギー>が嫌いという人には、そんならエルヴィス聴くなよ」といいたいくらい入れ込んでしまう曲だ。

バラード聴く分には、癒されてしまえばいいわけですから、心地いいのは当たり前だが<ミルクカウ・ブルース・ブギー>ではそうはいかない。ロックンロール50年の重みは牛何頭分なのだろう。世界中の文化を変えてしまった19~23歳の入隊以前のエルヴィスが発する磁気に付き合おうっていうわけだから半端じゃないエネルギーが必要だ。エネルギーを必要としないサウンドなら化石だ。

♪ 今朝起きて
 ドアの外を見るとおいぼれたミルクカウ(乳牛)がいた
 歩き方見りゃすぐわかる
 
 オイみんな、ちょっと待った、動くなよ
 ここらでちょいと変えようぜ

 今朝起きて
 ドアの外を見ると
 おいぼれたミルグカウ(乳牛)がいた
 歩き方見りゃすぐわかる
 もし俺のミルクカウを盗んでも
 ちゃんと連れて帰って来てもらうぜ
 ミルクもバターもありゃしない
 あの牛がいなくなってから
 おまえにゃよくしたつもりさ
 夜遊びなんかやめて
 脆いてお祈りでもするんだな
 おまえはきっといつか
 この俺が恋しくなるさ
 俺にこんな仕打ちをしたのを悔やむだろう
 
 いくぜ、みんな

 夕闇に
 陽がきれいに沈む頃
 夕闇に
 陽がきれいに沈む頃
 月さえも淋しそう
 ベイビーがいないと
 おまえとうまくやっていこうと一生懸命努力した
 教えてやるさ、俺がこれからどうするか
 プライドを捨て
 おまえをおいて出ていくよ
 信じないのなら俺が何日帰らないか、数えりゃいいさ
 おまえはきっといつか
 この俺が恋しくなるさ
 俺にこんな仕打ちをしたのを悔やむだろう

 (翻訳:川越 由佳氏)


1954年12月20日録音。翌55年1月8日エルヴィス・プレスリーの誕生日にエルヴィス3枚目のシングル盤としてサン・レコードからリリースされた。55年にエルヴィスはRCAと契約、移籍したので、ちょうど録音から1年たった1955年12月20日にbRCAからリリースされた。